母が愛し、暮らした津屋崎の家が紡ぐ。明るくて開放的な雰囲気のまちの写真屋さん

津屋崎小学校の近くにある空き家に明かりが灯りました。福津市外で暮らしている家主様より、「母が愛し、暮らした津屋崎のために使って欲しい」と、ご相談をいただきました。私たちは、家主様の希望に合う借り主家族をご紹介。住居兼フォトスタジオへと改修・改装しました。 ―ご実家が空き家になった時、どういう気持ちでしたか? 母の入院がきっかけで空き家になりました。とにかく突然のことで、何の心構えもなく、どうしようかと、戸惑いました。空き家のままにしていたら、草も生えるし家も傷むし、近所にご迷惑がかかるのも心苦しい。どうにかしたいと強く思っていました。 ―相談をされてどうでしたか? ホームページを見て、まちのために空き家活用を進めていることに共感して連絡をとりました。「殺伐としている家だけど、借りる人なんているのかな…」「もう売ってしまった方がいいのかな…」と不安で…。でも、古橋さん(津屋崎空き家活用応援団員)と話をして、家を見てもらった後に「借りる人は、見つかりますよ」と言ってもらえて希望が持てました。それからしばらくして、「津屋崎を愛してくれる人が住んで欲しい」という私の要望通りの借り主さんを見つ…

築100年を超える古民家でまちの人たちと、このまちを訪れる人たちが共に「家族のようにつながれる場を」

古民家旧糀屋は長らく空き家でしたが、大家さんのIさんから「壊そうと思っているんだけど、解体するにはどうすれば」とご相談がありました。 旧糀屋は江戸・明治時代には糀屋として営まれた歴史のある建物であることに加え、津屋崎千軒の中心沿いにある十分に魅力的な古民家で、解体するには惜しい建物でした。 そこで、応援団の山口・暮らしの問屋古橋で(一社)まち家族を立ち上げ、旧糀屋をまちの人と外から訪れる人が家族のように繋がれる場づくりの舞台として、Iさんから借りることになりました。改装前に、建物に残っている荷物の整理を手分けして行いました。 そのほとんどは大家さんのおじいさんが世界中から集めたという数多ある郷土玩具でした。あまりにも多いので、倉庫にしまってしまう前に郷土玩具市を開きました。 改修工事は応援団の西野木材株式会社が担当しました。古民家のよさを活かしながら、開放的な空間へと生まれ変わりました。 現在は、喫茶営業をメインに毎週日曜には旬の朝ご飯会、月ごとにさまざまなワークショップも行われ、「まち家族」に込められた想いを体現するかのように、まちの人と訪れる人の交流の場として育っています。 場を…

燃料屋として営まれた当時の土間を復元。地域の方々が気軽に寄り合える憩いの場「みんなの縁側王丸屋」

津屋崎先中心にある元々は旅館建築で建てられた古民家は、長らく燃料屋さんとしてその歴史を重ねてきました。3年の空き家期間を経て、東京在住だった大家さんより、お世話になった地域の方々に家を開きたいというご相談をいただきました。 いくつかのご提案の中から、コミュニティスペースとしての活用が決まり、応援団の西野木材株式会社が改装工事を担当しました。伝統建築に精通した宮大工が改装・修繕を施し、昭和初期に商売をしていた頃の間口の広い土間を復元。地域の方々が気軽に寄り合えるような場づくりをされています。つけられた名前は「みんなの縁側王丸屋」。小学生が宿題を持ち寄ったり、昔懐かしい歌声喫茶や着物を着る会などの催しをしたりと、今日も地域の憩いの場となっています。

津屋崎の海を臨む築120年を超える木造旅館建築「旧玉乃井旅館」

津屋崎の海を臨む築120年を超える木造旅館建築の旧玉乃井旅館。かつては筑豊から炭坑夫たちが避暑のために泊まりにきたり、博多方面からの海水浴客で賑わいました。旅館を閉業した後は、現代美術に造詣が深く、執筆活動を生業としていた息子さんが建物を引き継がれ、津屋崎現代美術展や上映会、喫茶の営業などをしながら、お仲間と共に老朽化する建物の修繕を繰り返してきました。 2018年、いよいよ老朽化が深刻になり、大規模な修繕が必要となったタイミングで応援団に相談が持ち掛けられました。大規模な改装計画の策定やそのための資金捻出方法、登録有形文化財への申請など、応援団が考え得るプランを作ってご提案しました。 その後、2022年春には640万円の基金を集めて一期目の大規模修繕を終え、クラフトビール醸造所をテナントとして迎え入れました。その後も、テナントやアトリエとしての借り手が決まり、2023年中には登録有形文化財への登録も見込んでいます。